「今日救いがこの家に来た」  03−12−21
                     ルカ19:1〜10

 <人の子は失われたものを捜して救うために来たのである>と、主イエスはおっしゃいます。
クリスマスはこのことのために起こりました。「主が、私を、そしてあなたを捜して救うために
おいでになった。だから、おめでとうございます。」と挨拶を交わすのです。

 ザアカイという人は、「失われたもの」でした。神さまのもとから失われて、本来の所で生きて
いませんでした。徴税人ゆえに、人からは、神さまから離れた罪人だとみなされていました。
自分自身でもそのように思い込んでいました。彼は、最初から、罪人として生きたいなどとは
願ってはいなかったでしょう。しかし、いつのまにかそこに身を置くようになっていました。
ザアカイは背が低かったと書かれます。これは「小さい」と言う言葉です。彼はその時、群集から
相手にされませんでした。背だけでなく、自分の存在の小ささを味わっていたことでしょう。

 聖書は自分の姿を映す鏡だと言われますが、ザアカイの姿にも私たちの姿が映し出されて
います。ザアカイだけでなく、人は、ずるずると、いつのまにか神から離れ、失われた場所に
はまり込んでいきます。小さい取るに足りない存在であることを味わいます。そんな私たちに
「あなたの家に泊まらなければならない」と強い言葉で迫ってくださる、主イエスがおられます。
 「あなたの家に泊まりたい!」と語ってくださるのは、人や自分がどう思おうと、この私を失った
ままでいたくないと考えておられるからです。
 また、この私を大きな尊い存在とみなしてくださっているからです。

 主イエスが、失われていたこの私を探し出して救うために来て下さった。この小さい者を、
なくてはならない大きな存在と見てくださり、この私のところに泊まるとおっしゃってくださる。
クリスマスは、そのような主をあらためて知る時です。そして、主を迎え入れた私たちへの
「今日救いがこの家を訪れた。私が救いをもたらした」との宣言をしっかり聞く日です。
そこから、本来の自分としての歩みが始まります。